江戸時代の食事はどのようなものだったか皆さんはご存知でしょうか?
玄米や雑穀などを食べていたのでは?と思う方も多いのではないでしょうか。
実は、江戸の人々は白米を主食にしていました。
とても衝撃的ですよね。
白米を主食にしたが故に流行してしまった病気もあったようなので、お話していきたいと思います。
江戸時代の食事は?玄米ではなく白米だった!?現代との違いとは
最近玄米は白米に比べ栄養素が高いことが注目されていて、玄米を食べる人も増えてきました。
しかし、江戸時代の食生活を見てみると、江戸時代にはすでに白米を食べていたようです。
しかも、玄米ではなく白米をたくさん食べられるということをどうやら自慢していたようなのです。
江戸の人の食生活は、「一汁一菜」が通常の食事スタイルでした。
江戸時代後期の風俗百科『守貞謾稿(もりさだまんこう)』を見てみますと、朝食は炊きたてご飯と味噌汁。
昼食は 朝炊いたご飯の残りの冷や飯と野菜、あるいは魚などのおかず。
夕食も引き続き朝炊いたご飯の残りでお茶漬けを作り、漬物と一緒に食べる。
というようなスタイルで、ご飯を炊くのは、1日朝の1度のみでした。
それに、現代人が夕食に1番たくさん食べるのと違って、江戸の人は昼食にたくさんご飯を食べていたようです。
このように、1日を通して白米を良く食べていた江戸時代の人ですが、現代人と比べてお米の消費量が全く違います。
江戸の人はなんと成人男性では1日5合もご飯を食べていたようです。
現代人の1日の米消費量は大体お茶碗2杯ほどですから、違いは明らかです。
江戸時代の食事が玄米ではなく白米だったことで流行した病気とは
長く日本の庶民の食事は玄米が中心で、白米は身分の高い人しか食べられない高級品でしたが、江戸時代になり流通システムの発展により一般の人でも白米が食べられるようになりました。
江戸には、良い仕事と白米があるということで、地方からたくさんの人が江戸に集まってきました。
江戸に人口が急激に増えた影には、白米があったとまで言い切る学者もいるほどなのです。
それほどまでにあこがれだった白米ですが、江戸に移っていった人達は、江戸の生活に慣れてくると、足元がおぼつかなくなる、怒りっぽくなる、場合によっては寝込んでしまうなど体調を崩す人が多く出ましたが、それらの人たちが故郷へ帰ると症状はすぐに回復されたことから、「江戸患い」とその病気は呼ばれていました。
江戸に行くとこのような症状になる理由は、明治に入ってからやっと解明されたのですが、この病気は「脚気(かっけ)」と呼ばれる病気でビタミンB1不足によるものだったのです。
ビタミンB1は胚芽部分に多く含まれていましたが、その部分を取り除いている白米を食べるようになったことでこのような病気にかかってしまったわけです。
ちなみに100g中のビタミンB1含有量は、白米がおよそ0.1g、玄米は0.5g、米ぬかに至っては2.5gもありました。
玄米ではなく白米を食べていた江戸時代!人気だったおかずとは?
江戸時代の人達は三度の食事に玄米ではなく白米を食べていたことが分かりましたが、その白米に合わせて、どのようなおかずを食べていたのでしょうか?
江戸後期にはきんぴらごぼう、煮豆、切り干し大根の煮物、昆布と油揚げの煮物、ひじきの白和え、小松菜おひたしなどが良く食べられたようです。
そして、魚や貝などを使ったおかずもたまに出たようで、それらのメニューとしては、いわし目刺し・たたみいわし・アサリのむき身と切り干し大根の煮物などです。
やはり魚や貝は高級食材だったようで、下級武士でも、魚を食べられるのは月に3回ほどしかなかったようです。
他に漬物で人気のあったメニューでは、たくあん漬けや梅干、ぬか味噌漬け、なすび漬け、らっきょうなど現代のお漬物メニューとさほど違いはないようです。
お味噌汁の具材として定番だったのは、大根・豆腐・納豆でした。
このように江戸の人たちの食事を見てみると、大豆関係の食品が多くあらわれ、大豆は貴重なタンパク源になっていたようです。
ちなみに、江戸時代の豆腐はサイズが大きかったとはいえ、一丁50文(約1,000円)もしたそうですよ。
江戸時代からの伝統的な食品「味噌」の魅力について
日本人の食事に欠かすことのできない食品として味噌が挙げられますが、古くは飛鳥時代に中国から伝わったもので、最初はおかずや薬として扱われていた高級品でした。
室町時代にお金持ちの人が自家醸造を始め、江戸時代に入って一般向けにも作られ販売もされるようになっていきだんだんと全国に広まっていったのです。
味噌は発酵食品で、その効能もたくさんあります。
とくに脳卒中のような特別な病気ではない頭痛を発生した場合、みそを食べることで血流の促進により血管を良い状態に保ち、頭痛の症状を和らげてくれる効果があります。
また、胃がん・肝臓がん・乳がんなどを予防する抗腫瘍作用や、抗酸化作用もあることが分かっています。
大豆自体は貴重なタンパク源となりますが、大豆を発酵させて作る味噌は、消化に優れ、体により吸収されやすい体に優しい食品なのです。
このように味噌は今も昔も日本人の食生活に欠かせない食品となっているのです。
最近玄米の良さが見直され始めていますが、味噌も今後も玄米と一緒に積極的に摂取していきたいですね。
江戸時代の食事による江戸の人々の寿命について
江戸時代の人達の食事は玄米ではなく白米が中心でしたが、江戸の人々の寿命は現代と比べてどのようだったのでしょうか?
江戸時代には現代のような戸籍制度がしっかりとあったわけではなく、どの年齢層の人がどれぐらいいたかというようなはっきりとした統計も残っていないので、江戸時代の人の平均寿命というのは、今でも研究者によってかなり変わってくるようです。
しかし、大体でいうとすると、「30歳~40歳」という説が有力ではないでしょうか。
現代の私たちの平均寿命は80歳を超えていますから、その半分、あるいは半分以下だった可能性が高いです。
江戸時代には、1日3食の食事スタイルが確立されつつあり、食生活も見直されていきましたが、医療はまだあまり発達していませんでしたから、乳幼児の死亡率がかなり高かったと見られます。
11代将軍、家斉の子どもは男女合わせてなんと50人もいましたが、半数が20歳までに亡くなりました。
また、12代将軍、家慶にも男女合わせて27人の子どもがいましたが、20歳まで生きられたのは家定ただ1人でした。
将軍の子どもすらこのような状況ですから、庶民の子供の死亡率はもっと高かったのではないかと思います。
このように江戸時代には20歳まで生きられる確率が非常に低かったのです。
江戸幕府を築きあげた徳川家康の食事はとても健康的だった!?
徳川家康は「長命こそ勝ち残りの源である。」という名言を残していますが、江戸時代の平均寿命が30歳から40歳であった時代に、家康はなんと75歳まで生きることができたのです。
家康はとくに食生活にもこだわっていたと言われ、白米が流行った時代でも、彼の質素倹約の精神からも麦飯を好んで食べたと言われています。
そしてこの食事のスタイルは生涯変えることはなかったと言われています。
彼の麦飯は、丸粒の大麦に胚芽やヌカの残った半搗き米を混ぜたものでかなり硬さがあるものでした。
ですから玄米同様に、かなり噛まないと飲みこめません。
しかしこれによって、脳や胃腸の働きを活性化させ、老化を防いでいたのです。
また、ミネラルや食物繊維などの栄養素が豊富で便秘にもなりにくく、長寿の秘訣となっていたのです。
さらに家康は、大豆100%の豆味噌の味噌汁が大好きだったそうです。
豆味噌にはアルギニンという強壮効果のあるアミノ酸が豊富であると共に、この味噌汁と一緒に、キジや鶴の焼き鳥などの動物性たんぱく質も摂取していたそうです。
このように家康は、、適度なたんぱく質と、アミノ酸、そして麦飯とバランスの良い食事を摂っていたのですね。
バランスの良い食事を心掛けましょう
江戸の人々が悩まされた脚気は、江戸の人々の食事内容の変化によるものでした。
玄米を白米にしていたことで栄養不足になってしまったのが原因ですので、やはり食事はバランス良く食べる必要があります。
体に良いとされる食材は、人間の体に必要な栄養が豊富に含まれていますよね。
しっかりバランスの良い食事を心がけましょう。