江戸時代の天皇と庶民の暮らし紹介!玄米が病気から救った?

江戸時代にも、現代と同じく天皇という存在がいました。

その天皇と庶民の暮らしは、まったく違うものでした。

そこで、今回は天皇と庶民の暮らしぶり、当時流行していた、現代でもかかりうる病気、その予防策などを紹介していきます。

江戸時代に、天皇と庶民は顔を合わせる機会があったの?

今でこそ天皇と人々は滅多なことでは接触することがありませんが、昔はそうでもなかったと言われています。

天皇は江戸時代には京都御所で暮らしており、年中行事などが開催されると一般庶民にも中が開放されて、自由に出入りすることが出来たのです。
今でも馴染み深いと言える定番のもののは節分や御神楽などでしょうか。
誰かが亡くなった時は、お葬式や通夜に当たる儀式が行われました。

新たな天皇が任命される「即位礼」と呼ばれる儀式では、特に大勢の人が集まったようです。

また節分の場合は時間こそ決められていたものの、やって来る人は後を絶たず、身動きが取れないくらい御所の中が混み合っていたとされています。

その他のイベントでも、わざわざ遠くから何日もかけて京都を訪れたり、京都に住んでいる知り合いのツテを頼るなど、あらゆる方法を使って様々な身分の人が来ました。

そのため御所は決して庶民が近寄れない場所ではなく、期間限定とはいえとても身近に感じられるところと認識されていたのです。

江戸時代の天皇はどんなところに住み、どんな食事をしていたの?

江戸時代、天皇は京都御所で暮らしており、その周辺には天皇にお仕えする人達の家が建てられていました。
さらにその周りをお寺や神社が取り囲み、庶民の家が並ぶという配置になっています。
武士やそれに連なる人々は、現在の二条城に当たる場所で暮らしていたそうです。

御所内でもメインの住居としていたのは「御常御殿」と呼ばれている建物であり、そこで日常生活を送り、仕事などは「清涼殿」へ移動してから行っていました。

食事には銀製の食器を使用しており、ご飯やお吸い物、魚を中心とした献立を摂っていたとされています。
これは平安時代から続いている名残なのですが、銀は一部の毒に反応して黒ずむため、毒の判別も兼ねていました。

何らかの儀式や行事が開かれる際には、伊勢エビや鮭など多少豪勢なものが出てきたと言われています。
しかしそれほど財政は豊かではなかったため、将軍と比較すればずっとシンプルな内容だったようです。

なおこの頃は肉を食べる文化が存在しないので、野菜、魚、海藻を使って料理が作られています。

江戸時代の庶民は、天皇と比べてどんなところに住んでいたの?

天皇が京都御所で暮らしていた江戸時代は、意外と平和で庶民にとっては暮らしやすいと言われていた時代でもあります。

江戸は武士の一族やその関係者が住んでいる「武家地」、お寺や神社が集まっている「寺社地」、一般人が暮らす「町人地」の3つに分かれており、身分次第でどの区域に住むのかが決められます。
7割ほどを武家地が占めており、残りの3割は寺社地と町人地が半々くらいの割合で埋まっていました。

ほとんどの人々は「長屋」と呼ばれる場所を住居としています。
タウンハウスなどを想像すれば良いでしょう。
この長屋には「裏長屋」と「表長屋」があり、通りのどちらに面しているかで呼び名が変わります。

狭い空き地には共同で使用する井戸、トイレ、ゴミ捨て場が設置されており、雨が降ると泥で滑らないように専用の板を敷き詰めていました。
また土地を守護するため、稲荷の神を祀った小さいお社や祠が建てられていました。

ちなみに自分の家を持っている人は非常に少なく、大半は幕府などから借りていたとされています。
これを「町屋敷」と言い、数十軒が集まると、ひとつの町が出来上がるくらいの規模になります。

江戸時代の庶民は、天皇と比べてどんな食事をしていたの?

江戸時代の食事はトップに君臨している天皇でも非常にシンプルなものを食べていましたが、それでもある程度のおかずが用意される天皇とは異なり、庶民にもなるとご飯、味噌汁、漬物のみとなるため、質素さはさらに上がりました。

しかしそれでも体力が十分維持出来ていたのには理由があります。
それは「米の量」です。

江戸は中心地であり、将軍などの家々も建てられています。
つまり年貢として支払われる米が集まっており、それらを人々へと配るための手段も持っていたので、江戸で暮らしている人達のほとんどは白米をいつも食べていたのです。
その量はとても多く、成人男性にもなれば1日で5合を平らげることも珍しくありませんでした。

当時は食料のバリエーションが少なく、肉を食べることもなかったので、日常生活や仕事で使われるエネルギーを米から摂取する必要があったからだと言われています。

なお今は夕食を豪勢にすることが多いようですが、江戸時代は仕事や家事を終えればすぐに寝入ってしまうので、お昼に野菜や魚などのおかずを添えていたようです。

江戸時代、江戸っ子に流行していた病気は?

江戸時代では天皇も一般庶民も白米を大量摂取することで、身体を動かすエネルギーを摂り込んでいました。

しかしそれによる弊害も見られたのです。
それが「脚気」です。

脚気とはビタミンB1が足りなくなると発症する病気で、進行すると命の危機に晒されるほどの危険なものでもあります。
徳川将軍の中には脚気で命を落とした人物がいるくらいなのです。

本来なら玄米に含まれているはずなのですが、江戸で暮らしている人々は精米を済ませた白米を食べていたため、脚気になりやすくなっていたのです。

白米を口にしていたのは、当時はほぼ江戸の住人に限られていたため、人々の間では「江戸患い」として知れ渡っていました。

この脚気ですが、実は現代でもかかってしまう可能性があります。
インスタントやレトルトばかりに頼っていたり、アルコールを多く摂ると、体調維持ではなくそれらを分解して吸収するためにビタミンB1が使われてしまい、結果的に足りなくなってしまうのです。
また水に溶ける性質なので、調理法によっては体内へと入る前に消えてしまいます。

ビタミンB1は体内に摂り込まれにくく、それでいて身体の外に出て行きやすいため、食材に含まれているうちの半分ほどを摂り込めれば良いほうとされています。

江戸時代に流行った、脚気を予防するには玄米がオススメ!

江戸時代に天皇や将軍すらも悩ませていた「脚気」は、現代人でも食生活が偏っていると発症する可能性があります。

それを防ぐには、白米を玄米に変えてみるのが良いでしょう。
実際に江戸時代では、白米ではなく玄米や麦を食べることで、脚気を治していました。
癖があるので慣れるまではきついかもしれませんが、玄米には様々なメリットがあります。

まず玄米はもともと値段が安く、暗くて冷たいところに保管しておけば1年は保つので、コストパフォーマンスは抜群と言えるでしょう。

硬くて歯応えがあるものの、そのおかげで大量の唾液が分泌されるので、消化と吸収の効率が上がり満腹中枢が刺激されるので、少ない量でもすぐにお腹がいっぱいになったと感じられます。

そして玄米と相性の良い食材は、魚や海藻などビタミンやミネラルを豊富に含んでいるものが多く、玄米を主食にするだけであっという間に健康的な身体を手に入れることが出来ます。
引き替えに脂肪分や糖分を減らせるというのも嬉しい点です。

江戸時代の食生活は現代の見本!

現代は、食の欧米化が進みさまざまな生活習慣を招いています。
江戸時代の食生活は、とてもシンプルでした。

現代は、さまざまな食品が手に入る時代です。
江戸時代ほど質素にする必要はありませんが、玄米を主食とし、和食を中心としたメニューにすることで健康的な生活が出来ることでしょう。